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変わりゆく時代の先にも
「原価の愛」を伝えたい

北24条時代、「スナック原価」の始まり

私のスタートはすすきのではなく北24条だったんです。当時はデパートで働いていたのですが、親戚だった会長がやられていた喫茶店の店長がお嫁に行くので「ちょっとやってくれない」って声をかけていただいたんです。

それで仕事の後、 現在のメルシー原価の場所で深夜喫茶「ユー&ミー」を始めました。店名の由来は私の名前「ゆみこ」の「ゆみ」から。始めて半年後くらいにスナックに切り替えて生まれたのが最初の「スナック原価」です。

その時はまだ19歳でお酒も飲めないし、喫茶店の流れでボトルも無かったんです。だから、お客様に1階にあった酒屋さんでお酒を買って飲み物持ち込みOK!前代未聞の他には無いスタイルでの営業でした。だから店名は「スナック原価」になったんです。

当時、求人誌も無かったので働いてもらっていたのは、昼に働いていたデパートの仲の良かったコたち。

「タダで飲めるよ。お手伝いして」って(笑)。

コーセー、カネボウ、マックスファクター、資生堂といった化粧品売り場の美容部員の女のコたちが中心でした。美容部員さんって即戦力なんですよ。笑顔はできてる、会話もできる、物怖じしない、ついでに美人揃い。

まぁ、私はネクタイ売り場だったんですけど(笑)。

でもそのおかげでネクタイを買いに来たお客様がお店のお客様にもなってくれて。最初から全て任せていただいていたので、自分なりに考えてやっていたんです。

すすきの進出、多くの店を経て最後は幻に?

それから23、24歳位の頃に会長と奥さんに保証人になってもらい銀行からお金を借りてすすきのにお店を出すことができました。G4ビル2階に北24条の店の系列店として「スナック原価」をオープンしたんです。北24条のお店は、妹が高校を卒業したのでママをやってもらいました。

そして30歳になった頃、同じビルの2階にあった「スナック原価」を3階に移転。2階はスナック原価より大人向けの店「メモリアル原価」にしたんです。当時の「スナック原価」は若いお客様が多く、サラリーマンの方にはうるさすぎるという声もいただいてましたので。

その後、当時出来たばかりだったシティボーイズ&シティガールズビルの地下に「T・FUNNY(ティ・ファニー)」ってお店を作りました。ここは1時間2,000円飲み放題だったので、若いお客様中心の賑やかなお店でした。ティファニーじゃなくてティ・ファニーの意味は英語で「田中楽しい、田中面白い」って意味を込めたんです(笑)。

でもだんだんこのビルに風俗系のお店が入るようになってきてお客様も女のコたちも嫌がったのでメイプル通りビルに移転しました。メイプル通りビルの5階だから「メイプル5」って名前に変えて。それからプラザ6・4ビルにちょっと大人っぽい雰囲気の「64クラブ」を作り、同じ頃「メイプル5」を第20桂和ビルに移転して「Vivi(ヴィヴィ)」としてオープン。

その後、アルトビル7階に「Vivi(ヴィヴィ)」と「64クラブ」を移転させ、それぞれ「BAR原価」「アルト7」にリニューアルしました。

そして、私のママとして集大成のお店のつもりでアルトビル2階で「幻花(げんか)」を3年ほど前からやっています。

最後は「まぼろし~」って消えていこうかななんてね(笑)

先が見えなかったからこそ活気のあった時代

今と比べるとやはり活気は昔の方があったのかなと思いますね。

みんな元気でしたよね。よくあちこちで喧嘩してましたよね(笑)。最近はそんな人、全く見ないですよね。可愛い女のコを取り合うとか、仕事の話でぶつかるとかとにかく熱い男が多かった。飲み方にしても先輩が後輩に教えていたじゃないですか。先輩に奢ってもらって素敵な飲み方を教わって、それを今度は自分が後輩に奢って教えるみたいな。今はそういうの無くなってますよね。今は先輩、後輩で飲みに来ていても先輩の方が気を遣ってますしね。仕事の話とかしたら嫌がるんじゃないだろうかとか。

人手不足だから辞められたら困るし、世の中的にも色々と厳しくなってますからね。

恋愛も携帯電話がない時代の方が、物語、ストーリーがありましたよね。すれ違いやハプニングも多かったと思うし、LINEとかSNSじゃなくて対面でのコミュニケーションがほとんどだから、泣いたり笑ったり感情が剥き出しだったし。今の方が全てにおいてあっさりしてますよね。

いろんなものが発展して先が読みやすくなったというか、計算しやすくなったからでしょうか。私たちの時代は先がわからないからこそのドキドキ、ハラハラがあってそれが楽しかった気がしますね。

お客様と結婚した女のコも私が知ってる限りでは300組以上いますね。

変わらず紡がれる原価カラー

すすきので働く女のコも時代とともに変わってきているんでしょうけど、うちの女のコたちはあまり変わってないですね。それは長くいてくれる女のコが多いからだとおもいます。一番長いコだともう38年働いていますから。

そういう先輩たちが新しく入ったコに「原価の心」「原価ルール」を伝えてそれぞれのお店の店長がみんなのお母さん役をしてくれているんですよ。真剣に向かい合って話を聞いてちゃんと叱ってくれる。怒るんじゃなくてちゃんと叱ってくれています。

そうやって文化が引き継がれているから、辞めたコたちも子供連れで遊びに来てくれたりします。

お客様もいろいろなお店に行かれますが原価に来るとホッとすると言ってくださるし、うちを卒業してニュークラとかで働いているコもお客様連れて遊びに来てくれては、実家に帰ってきたみたいでホッとすると言ってくれます。みんな仲良いから辞めてもお客様を紹介してくれるし、私たちも独立したり辞めたコのお店をお客様にお勧めしたりしますしね。そうやってお客様にすすきのという街を楽しんでいただくのが一番だと思いますし、女のコたちにも楽しんで仕事をしてもらう事を大切にしています。

変わりゆく時代の先にも残していきたい想い

今はコロナの影響もありすすきのの遊び方、飲み方などいろんなことが変わってしまったように感じます。ご年配のお客様方があまり出てこられないようになり、若い方と観光の方が増えましたよね。団体のお客様というのもめっきり減ってしまいましたしね。

街自体も、ラフィラが大型の施設に変わるし、ドンキ・ホーテもできたしどんどん変わっていきますよね。以前のすすきのはゆったりしっとり飲むスナックとかクラブが主役の飲み屋の街だったと思うんです。でもこれからは、食のお店が中心になっていくのかなぁとも思っています。

素敵な食べ物屋さんや、ガールズバーやコンカフェのような新しいスタイルのお店が増えていく一方、ママさんひとりでやっているような昔ながらのスナックとかクラブは少なくなっていくんでしょうね。変わっていくことへのワクワク感もありますけど、どこか寂しさもありますよね。

私も年齢的に上手に引き継ぎをして行かなくちゃいけないなと考えています。そうしてこの先も原価の名前を、そして「原価の愛」を良き時代のすすきのの文化として繋いでいってもらえたらいいなと思っています。

ススキノの「スナック原価」オープン当時の裕美子ママ
ススキノの「スナック原価」オープン当時の裕美子ママ
以前に使われていた裕美子ママの写真入りのボトルキープカード
以前に使われていた裕美子ママの写真入りのボトルキープカード
今も変らない笑顔の裕美子ママ
今も変らない笑顔の裕美子ママ

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