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走り続けた日々
感謝の思いを胸に次のステージへ

誕生後すぐ病室生活、そして多忙な子ども時代へ

生まれたのは現在の新ひだか町、当時の静内町です。母が私を産んで直ぐに大手術をして長期入院になり乳飲み子の私も一緒に病室生活でした。とにかく愛想のいい子供で、ベッドの足に紐で繋がれた歩行器で廊下の方に行っては歩く大人たちに愛想を振り撒き、通りがかりのおじさんに売店におやつを買いに連れて行ってもらっていたとか。 夜泣きもせず、いつもニコニコだったから病院のスタッフや相部屋の人たちにも人気だったみたいです。 今思えば、この頃からおじさんキラー?いや、人たらしだったのかもしれないですね(笑) その後は羊蹄山の麓の喜茂別町へ。 小学生の頃はアイドルに憧れ、お楽しみ会で手作り衣装で友達と歌とダンスを披露してました。歌が好きで、四年生から六年生まで合唱クラブにも所属。朝練、放課後練習とハードな日々でしたが副部長として六年生のコンクールで金賞を獲得し、仲間と共に目標に向かい達成する快感をこの時覚えました。更に野球少年団のマネージャーもやっていて、スコアの付け方まで習得していたんですよ。音楽室とグランドを行き来する毎日でした。今も、スナック経営の他にいくつか仕事を持っているんですけど当時から掛け持ち得意だったんです(笑)

借金生活からグランドキャバレー最後のNo.1に

私が夜の世界で頑張ろうと決断したのは、30代に入った頃、大きな壁にぶち当たり大借金をすることになったのがきっかけです。高校を卒業後、札幌のバス会社でガイドをしていたので自分の本職はバスガイドだと思っていたのですが、小さな子供を二人抱えており、出張に行けない為、保険外交員をしていました。昼は外交員、夜はスナックのアルバイト。それでも追いつかない借金返済に必死になっている私を見て友人が「クラブハイツ」でのアルバイトを勧めてくれたんです。20代の頃から田舎にログハウスを建てるという夢を持っていたので、その為にも、借金は何としてでも超えなければならない壁でした。その夢の為に、それまでも365日、昼も夜も働き本当に頑張ってきたので、どんなことがあっても諦める訳にはいかなかったんですよ。当時は今と同じくらいぽっちゃりだったのでグランドキャバレーでドレスを着るなんて、と躊躇しましたが「真由ちゃんのそのままのキャラで普通にいるだけで絶対に売れると思うんだけどなぁ?」という言葉に背中を押され、2年で借金をほぼ完済、10キロのダイエットにも成功し3年目にはNo.2になっていました。そして4年目にエンペラーから移籍され不動の1No.1だった左京さんが引き抜かれて他店へ行ったことで、自動的にNo.1に。そのまま閉店の5年目までレギュラーNo.1だったので、クラブハイツが43年の歴史に幕を下ろすというニュースが各テレビ局や新聞でも取り上げられ時には、最後のNo.1と紹介されました。これがいい宣伝になり、私は、2013年2月28日クラブハイツ閉店の翌日にスナック「CLOBAR」をクラブハイツの後輩の女の子16人と共にオープンしたんです。

夢を叶え、感謝の日々

「CLOBAR」には役職というものは特になく、チーママもチーフもマネージャーもいないんです。役職は上が決めるものではなく、働く仲間同士で能力を認め合い自然と生まれる組織形成を大切にしているからです。全員、昼間の職業を持っている掛け持ちのアルバイトなので自由出勤、公平ではなく平等なバックシステム、やったらやっただけの報酬システムで頑張り度合いは人それぞれ。どれくらい頑張るかは本人の意思で決めてもらっています。そして私は、夢を持つこと、そしてそれを叶える為、日々頑張るという姿を見せ続けてきたつもりです。その結果、ありがたいことに開店依頼、順調に来れましたが、コロナ禍のぽっかりと時間が空いた時、立ち止まって長く考える時間ができたことで、自分の中に降りてきたものがあったんです。それまで、考える暇も無いほど子育てと仕事に追われ、まるで下りエスカレーターを駆け上がるような日々でした。常に足を止めたら落ちていくんじゃ無いかという恐怖に追われていたような気がします。だから、ふと立ち止まる時間ができたことで、やっと夢を叶える時がきたのではと思い、昨年、ついにログハウスを東川町に建てました。毎年海でやっていた通称、海CLOBARというキャンプイベントを去年から東川の自宅敷地内で開催しています。スタッフとその家族、お客様とその家族、私の友人などが集まる年に一度の一大イベントです。 一つ夢を叶えたことで、これからは新規事業を展開し会社としても大きく成長したいという想いと共に、一緒に頑張ってきてくれた女の子たちの夢も応援していければと思っています。 今はお店には週末のみ顔を出して基本的には女の子たちに任せていますが、任せてほしいと名乗り出るスタッフがいれば、2店舗目、3店舗目と出資するのもいいかなと思っています。これまで仕事に追われ闘病中の父が意識のあるうちに会いにいけないほど忙しくしてた事を今でも後悔しているので、時間にゆとりができた今、残された母の親孝行に時間を取れる今が本当に幸せです。私に関わる全ての人に、そして予想もしていなかったホステスという職業に出会えた事に感謝の日々です。

バスガイド時代の真由ママ
バスガイド時代の真由ママ
「クラブハイツ」時代の真由ママ
「クラブハイツ」時代の真由ママ
ステージのあるホール席
ステージのあるホール席

CLOBAR