昼はホテルマン、夜はホステスの二刀流
生まれは函館なんです。その後、根室を経由して小学校1年生の時に札幌に移り住みました。
子供の頃はいつも母の後ろに隠れている引っ込み思案で大人しい子でした。だから男子としゃべれるようになったのは、高校生になって野球部のマネージャーをやるようになってから。中学生くらいまでは男の子と喋るの苦手だったんです。その頃から少しずつ活発になってきたって感じですかね。だから親も親戚も今こうして接客の仕事をしているのは「あの大人しかった子がねぇ」って驚いています。
高校を卒業してから昼はホテルで正社員として働き、夜は内緒でホステスのアルバイトをしていました。ちょうどドラマ「ホテル」が流行っていた時期で、憧れもあって就職したんです。ドラマみたいな珍事件があるのかなとか思って(笑)。
レストランで5年、フロントで5年働きました。28歳の時に10年ひと区切りと考え、夜1本でやっていこうと決意し退職しましたが、ホテルでは上司に恵まれたこともあり毎日楽しくて、当時の上司や仲間とは今も付き合いがありお店にも来てくれるんですよ。
ホテル時代に知り合った人たちは今の仕事を天職だねって言ってくれます。きっとこの頃にお喋りが得意になって来たのかななんて思います。お客さんともよくお話しするようになっていましたので。
初めての夜の仕事は「英語が勉強できるよ」ってスカウトされて行ってみたらスナックだったという世間知らずな18歳の時です。もちろん、英語はできるようになっていないです(笑)。
それから、いくつかのお店で働きましたが、中でも思い出に残っているのは「エンペラー」ですね。21歳の時から4年半いたんですけど、源氏名は「みかん」で、今も変わらずみかんちゃんと呼ばれてるんですよ(笑)。
歳の近い子も多く学校みたいな雰囲気で毎日盛り上がっていましたし、同時に可愛がってくれる頼りになるお姉さんたちもいていい環境だったと思います。
母をお店に招待して来てもらったこともあるんですけど、実際に働いている姿を見てもらい応援してもらえるきっかけになった場所でもあります。それ以来、店が変わるごとに招待しています。
ママになって広がった世界
ホテルを退職してから、まずはいろいろなお店を知りたいと思い派遣であちこち行っていました。
そんな時に派遣されたスナック「スコーピオン」で遠藤エミ子ママと知り合えたことが今の私を作ってくれたと思っています。
派遣で行ったお店では気に入っていただき、専属のような形で1年ほどお世話になったのですが、何よりも人付き合いの大切さや店をやっていく上で周りの人を引き立てることが肝心だということを教わりました。
そして、色々な業態がある中でも自分はスナックが一番好きと気付かせてくれたお店でもあります。今も会うと大切なことを教えてくれる心の師匠ですね。
その後、この先ホステスをやっていく自信を付けたいと思いニュークラに移り、自分の中で決めた目標を達成したので、念願のスナックを始めたいと考えていたところにご縁があり「アプローチ」を第21桂和ビルにオープンしママとなりました。
それが31歳の頃ですね。女の子6人でのスタートだったんですが最初は大変でした。人をまとめる経験なんてなかったですから試行錯誤の毎日でしたね。でも高校時代のマネージャー経験から草野球チームのマネージャーをしたり、ゴルフに誘っていただいてすっかりハマったりとママをやることで世界が大きく広がったと思います。
ススキノが大好き! スナックって最高!!
これまでにさまざまなタイプのお店で働きましたが、やっぱりスナックが一番好きなんですよ。
この仕事の醍醐味って人と会えることに尽きると思うのですが、スナックだと気軽じゃないですか。そんなに価格も高くないから、誰にでも遊びに来てって言えるし実際に来てもらえる。だからご縁があった方々と切れることなくずっとつながっていけるというのはスナックならではなんじゃないかと思いますね。
ちょっとアピールしておきますと、野球、ゴルフ、大相撲好きの方とは話が合うと思うのでぜひ御来店ください。野球は去年、甲子園に5回行ったんですよ。高校野球もプロ野球もずっと見ていますね。ゴルフは12年やっていて100切ったのが4回しかないんですけど(笑)腕前は上達しなくても大好きですし、大相撲は毎場所見に行きます。
この先も一生ススキノにいたいと思っていますし、生涯独身を貫くつもりです(笑)。