天真爛漫な子供時代 東京から震災を経てススキノへ
生まれも育ちも札幌なんですよ。子供の頃は「Dr.スランプ アラレちゃん」みたいな子でした(笑)。常に走り回っていて天真爛漫って感じ。
男の子に混じってサッカーしたりとか体を動かすことが好きだったんでしょうね。腕白だったんです(笑)。
スイミングスクールに通っていて育成から選手コースに移行して本格的にやっていたんです。転校を機に途中で辞めてしまいましたが、今でも泳ぐのは大好きです。
気分転換によくプールに行くのですが、泳いでいると何も考えないので頭がリフレッシュされる感じがして気持ちいいですね。
ホステスを始めたのは18歳から
なんとなく勢いで東京に行って歌舞伎町のキャバクラ、札幌で言うところのニュークラで働き始めたのが最初です。
接客のお仕事も東京の街も性に合っていたのか楽しくやってましたね。何軒かお店を移籍して六本木のお店で働いていた頃に東日本大震災が起きてしまったんです。
自宅待機になることも多くそれまでの充実した生活から一変してしまいました。出勤が減ってしまったことで生活が大変になったということもありますけど、やっぱりあんなことがあると、色々考えてしまいますよね。
それで札幌に帰ることにしたんです。18歳から一人暮らしだったので、久しぶりの実家暮らしは快適でしたね。
それで、半年から1年くらいはお仕事をせずに、のんびりとリフレッシュしていました。何も考えずに存分に遊んでましたね。
そんな時期に出会った人と結婚もしましたが、2年くらいで破綻してしまい、ススキノのニュークラで働くようになりました。
理想を求めて独立 自由奔放なスタッフたちとの今が一番
東京と札幌ってお店のシステムが違うんですよ。東京は担当制で札幌は本指名制。頑張り方というか、努力の方向性が違うので戸惑いましたね。
正直、慣れもあって東京の時の方がやりやすいなぁと思う部分もありました。少しずつこっちのやり方にも慣れては行きましたが、段々と自分が自分の考える方法で頑張ってみたいっていう気持ちが芽生えてきました。
基本的に几帳面というか、仕事はきっちりとしたい方だし、関わる人たちにもきちんとしてほしいんですよね。
特に当時はそういう想いが強くて、お店のやり方に従うのではなく、自分が理想とするやり方でお店をやってみたいと考え33歳の時に独立したんです。
最初はスタッフとの距離感がわからず苦労しました。店の質を保ちたいという気負いもあって、自分のペースについてこれないなら辞めてもらってもいいくらいの気持ちだったと思います。
でもお店を続けていくにつれて、どんどん人にも寛容になってきたし、大らかな気持ちで働くようになりました。忍耐力がついたと思いますね(笑)。
「友達感覚で来て」くらいに肩の力を抜いて接することができるようになってきて回り出した感じでしょうかね。
今は私のペースでやっていくけれども、違うペースの人も成長の過程だと思って見守れるようになりました。同じ速度じゃなくていいけれど、ちゃんと立ち止まらず進もうとしてくれるなら一緒にやっていけるなと思うようになったんですね。
立場が変わったり、責任のあり方が変わると考え方も変わるものですよね(笑)。独立したからこそ、見えたことはたくさんあったし、日々、勉強だと思っています。
仲の良さが居心地の良さに 今が一番いい状態なんです
今は一番、いい状態ですね。スタッフもみんな可愛いしおしゃべりも上手(笑)。
本当にいいスタッフに恵まれたと思っています。だからお店の雰囲気もすっごく明るいです。スタッフもお客様も一体になってワイワイ楽しくやっている感じですね。
そういうムードだから一人でいらしていただいたお客様も、すぐにスタッフとだけではなく他のお客さんとも仲良くなって楽しんでくれることが多いですね。
団体の方より一人で来るお客様が多いのも特色で、みなさん気軽に寄って居心地よく過ごしていただけているのは嬉しく思っています。みんなバラバラのタイプで個性が強めなので、お客様には「よくこのコたちを放牧してるね(笑)」なんてイジられたりするんですけどいいんです。
みんな仲良くて自由奔放にやっているところがウチの良さだと思っていますので(笑)。まとめようとすることよりも、みんな仲良く楽しくやっていることが結局、一番大切な事だったんでしょうね。
仲がいいからこそ、いい空気が流れてそれがお客様の居心地の良さに繋がるっていう凄くいい循環になっています。
初めての方も溶け込みやすいお店ですので、是非、遊びに来てくださいね。