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自分を証明したいという
想いから生まれた誇りある文化

2度と帰らない覚悟で北海道の地へ

男性が好きだということを隠さず表に出して生きて行きたい、自分が何者なのかを証明し世の中に名乗りをあげたいと思っていた24歳の時(1980年)に、ちょうど札幌でオープンするゲイバーにスカウトされたんです。「とにかくもう2度と帰ってこれない覚悟で自分を表現するんだ」って考えていました。知り合いもいない北海道は理想的な環境で自由のイメージでしたしね。愛知県から札幌に来て働いたのはすすきのの「ピーターパン」。当時はあまりなかったレビューショーが女性でも見に来れるお店でした。

そこでデビューして1年経った1981年、ドイツで三船敏郎さん経営のレストラン「三船」に店長候補として誘われ行くことに。当時には珍しく、女装したおじさんが路線バスに普通に乗っていていつかきっと日本でも受け入れられる日が来ると思いました。世界を通じて未来を見ることができた事、自分を押し通すことを学べた事は大きかったですね。

仲間に提供できる誇り、北海道を代表する文化へ

半年程でドイツから戻りピーターパンで4年ほど在籍後の1988年、旭川にて「ピーターパン2」を開店させました。初めての私のお店です。その5年後の1993年、育ててもらったすすきのに恩返しがしたくて、当時育てていた21歳のコたち5人を連れてすすきのに戻ったんです。それがポールスタービル(現Nスタービル)にオープンした「ららつう伍」。「伍」は仲間って意味で仲間を立てるつもりで付けました。逆から読むと「GO! つらら」、「行け! つらら」の想いも込めてね。

そこから1年はママとショーリーダーを兼任して、全部自分がやっているんだって気負っていました。そしたらお客さんに「大変ですね。凄いですよね。でももう少し力を抜いてみんなを信頼してあげたら」って言われたの。最初、私はオカマだ、ホモだって言われても堂々と生きる仕事を作らないといけない、自分を見つけたいと思って始めたけど、もう私は見つけた、これからはそれをみんなに提供していかないといけないと気づきました。

在籍しているコたちが生計が立てられて、恥ずかしいことじゃないってむしろ自慢できるようにしなくちゃって。そしてお店も任せられるようになった42歳の頃(1999年)、ゲイバーを開店させようとニューヨークへ行ったのですが、改めて札幌すすきのでニューハーフショー文化を根付かせることが自分の使命だと気づき、3年後の2003年に日本最大級のショーパブを今のサイバーシティービルにオープンさせることができました。

消しちゃいけないすすきのの灯り

今は昔と比べるとお客さんが変わりましたね。「オカマ」を見る目から「ニューハーフ」を見る目に変わりました。ららつーのショーを見た人たちに夜のディズニーランドに来たのよと言い張ってます(笑)

数十年ぶりとかにお客さんが来てくれた時にいつも思うのは、すすきのは灯台と同じで灯りを灯していればそれを頼りにきてくれるってこと。あのコロナの時みたいに消えそうな時があっても決して消しちゃいけないと、「ららつー」オープン30年目の今年改めて自分に誓いました。

ニューハーフショークラブららつー