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コピー歌手から芸能界へ、
貪欲に好奇心を持ってススキノを元気に

芸能界への憧れとコピー歌手時代

最初は大学を中退して南興ビル地下の喫茶店で働いていたんですよ。ちゃんと正社員として厨房入ったりホールやったりしてね。2年くらい経ったところで、いろいろあってバンドのボーカルとしてこないかと日劇ビルにあったマンモスディスコ「マックス」に誘われたんです。生バンドで踊るのが流行っていたんで、いわゆる箱バンのボーカルですね。当時は芸能界への憧れみたいなものもあったので、ひょっとしたらそういう道も開けるのかななんて思いもあり転職しました。でもしばらくするとバンドブームが去ってしまって、弾き語りになりました。ドンカマって言ってね、リズムマシーンのパカパカパカパカいう音に合わせてギターを弾きながら歌って、それに合わせてお客さんが踊るんです。そういう時代でした。25、26歳の頃にソロ歌手に転身。細川たかしさんが出ていた「20世紀」とかナイトクラブで歌っていました。

そして30歳の時に「ガンボックス」って自分のお店をオープン。そこから、ものまねを始めたんです。当時はものまねではなくコピーって言ってましたけどね。今みたいにものまねっていうジャンルが確立していない時代だから、笑わせようとかっていう感じではなかったですね。コピーするミュージシャンに寄せながらあくまでも音楽を聴かせるって感じでやってました。今でいうものまねってライブハウスの流れでミュージシャンであることが先にあってコピーするっていうのと、コロッケのようにショーパブの顔マネ、ふりマネが先にあってという流れがあるんですよ。自分はライブハウスがルーツだから、オリジナルでやれるならそれに越したことはないけど、無名だしそれじゃお客さんは来ないだろうくらいの感じで西城秀樹とかプレスリーのコピーをやっていたんです。そしたら「11PM」って当時の人気があった深夜情報番組で紹介されて連日、お店は大行列になったんです。当時は来札した芸能人とかもよく遊びに来たりして大繁盛でした。

「ものまね王座決定戦」優勝を機に芸能界へ

そこからスケールを上げたお店が「ガンダム」。33、34歳の時です。当時はまだ、情報誌に広告を出すにしても顔写真を出すだけというのが主流だったんですが、僕はちょっと違ったやり方をしてました。マイケルジャクソンや郷ひろみなど話題の人を衣装、背景など凝ってパロディ風に撮ったりしてね。ディレクション的なことが得意だったんですね。だからその頃にはもう自分が芸能界に行くことは諦めて、裏方としてお店のプロデュースとか企画制作とかに軸足を移す気でいたんです。でもそんな時、育てていた矢沢永吉のものまねをするやつと松山千春のものまねを釣るやつを店の宣伝の為にテレビに出そうとしたら、「あんたも一緒に」ってTV局の人に言われてついでのように出たのがきっかけで、「オールスターものまね王座決定戦」から声がかかって。

その頃には四天王(清水アキラ、ビジーフォー、栗田貫一、コロッケ)が確立して芸能人のスターしか出ない番組だったからスナックのマスターみたいなことをしている自分が? って感じでしたが、初出場で優勝しちゃって(笑) これを機に東京を拠点に芸能活動をするようになりました。最初は札幌と行ったり来たりしながら店との両立をしようとしてたんだけど、忙しくなって数年でその時の店長に店を譲渡しました。名前はそのまま使っていいよってね。そこから35年くらい芸能界にいることになった訳だから、人生何があるかわからないものですよね。布施明のものまねが受けたり、司会をやっていた「ギルガメッシュないと」が社会現象になったりして周りから見るとブレイクして世界が変わったんじゃないかみたいに言われるとこもありますが、自分の中では意外とそういう感じはなかったですね。でも、こうして店をやっていると男性のお客さんはみんな「あの番組にはお世話になりました」って言ってくれてね(笑)。当時は自分のオリジナルのレコードを出す時にあまりエロのイメージはと思って辞めたんですけど、今思えばやってよかったなと思いますね。

若くいられる秘訣はスケベなこと(笑)

10年ほど前に父が亡くなったのを機に札幌に拠点を移しました。家庭のこともあり、お仕事がある時だけ東京に行ってと言う感じでペースダウンしていった感じで。それで、今のお店をオープンしたのが5年前。年齢的にも気楽な感じでやっています。まぁオープンしてすぐにコロナになって結構大変でしたけどね(笑)。「ガンダム」をやってた時はバブル景気でしたからお金が舞って連日、大騒ぎするような賑やかな時代でした。だから、すすきのの街を歩いていると、インバウンドと観光客が中心で地元のお客さんに元気がない感じは寂しく感じますね。コロナを経て宅飲みでいいとか、自宅最寄り駅の居酒屋でいいやって感覚になっちゃったんでしょうね。昔の活気とまではいかなくても、歓楽街には歓楽街にしかない魅力っていうのがあると思うので、もっとみんな足を運んでくれたら嬉しいですね。このままじゃ、歓楽街じゃなくて陥落街になっちゃいますよ(笑)。

今はショーもやっていないし、ゆったりと楽しんでやっています。昔を懐かしんで来てくれる人もいるけど、新規のお客さんも多くて新鮮ですね。50、60代の男性のお客さんが多いのは、ゴルフが好きで、お酒が好きで、おネエちゃんが好きでっていう自分のイメージからなのかな。そう言う昔からの盛り場の話で盛り上がっていますね。もう70歳を過ぎたんですが、年齢を言うと驚かれますね。よく「若くいられる秘訣はなんですか?」って聞かれるんですが、それもうスケベなことですね(笑)。スケベっていうのは、色々なことに貪欲なったりすることや、好奇心を持つってことで、毎日を一生懸命、楽しく生きるってことですね。そういう気持ちを持ち続けて、多少なりともススキノを元気にする役に立てたら嬉しいですね。

40年前の「ガンボックス」時代。当時30歳
40年前の「ガンボックス」時代。当時30歳
35年前の「ガンダム」時代。当時35歳
35年前の「ガンダム」時代。当時35歳
今のガンボックスクラブの相方「タッチ」さん
今のガンボックスクラブの相方「タッチ」さん

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